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中村雅俊の息子逮捕でドラマ白い巨塔。歌下手でダサいので変えてください

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今回は、中村雅俊さんのご家族について、ご紹介したいと思います。

中村雅俊さんは妻の女優、五十嵐淳子さんと1977年にできちゃった結婚をします。
同じ年の7月に、第一子である長男の中村俊太さんを出産。

 

中村雅俊の息子:中村俊太のプロフィール

以下をご覧ください。

1977年7月26日生まれ
東京都出身
血液型 A(AO)型
職業 俳優

アメリカのクラカマス・コミュニティ・カレッジ卒

2001年10月 24歳の時に芸能界にデビュー。

アメリカの学校を卒業しています。

さすが、芸能人の息子ですね!

ドラマ「白い巨塔」「新撰組」などで活躍!!中村雅俊の息子画像はあるの!?

気になります

親の力も多少あったと思われますが、多くのドラマに出演。

初デビューをドラマ『歓迎!ダンジキ御一行様』

白い巨塔」や NHK大河ドラマ「新撰組」、『相棒2』など話題作に出演するなどし、今後の活躍も期待されていました。

新選組においては、浅野薫役で出演しています。

白い巨塔。

当時、話題でしたね。

私自身、高校生でしたが、医療ドラマの先駆けだったように思います。

大先生の回診は強烈な印象がありましたよね。

これだけ多くのドラマなどに出演、活躍なさっていたのですね。

2009年春に公開の映画『今度の日曜日に』の上映を目前にしていた。

逮捕後の2010年にTBS系月曜ゴールデンドラマ「沈黙の法廷・赤と黒」で三枝晋平役を演じている作品が放映されたため、

これが芸能界の復帰作だったのでは?とされる記事があります。

実際には逮捕前に撮影された放送が逮捕などを経て放映が1年以上ずれ込んでしまったのが原因です。

2010年にオンエアされたという経緯だということです。

結局、その後は芸能活動は現在に至るまで行っていないということでした。

大麻事件の逮捕の影響は甚大で、役者生命を奪われました。

自業自得といえばそれまでですが。

今現在もなお、役者としての再起はたっていません。

 

中村雅俊の歌い方が変で話題に!

中村雅俊は歌が下手だ、という噂がまことしやかにささやかれています。

何ていうんでしょう?多分「ふれあい」が解りやすいと思うんですが…

「かーなーしみーにー…出会うたびー」というフレーズを、

雅俊さんは「かーなしんみーにふぃー…でぃあうたびふぃーん」と歌っています(本当にそう言っているんです)。

「恋人も濡れる街角」という、あの桑田佳祐さんが原由子さんに作った名曲でもそんな歌い方でした。

15年くらい前のHEY!HEY!HEY!出演時の映像では、そうでもありませんでした。

どうやらこの10年で変化していったようですね。

他にも、

「中村雅俊って歌あんなに下手だったかな?妙に鼻にかける歌い方だ」

「酷いなあ!まあ当時からそんなに上手くはなかったけど」

「ねっとりした桑田佳祐みたいな歌い方で気持ち悪かったな」

「昔の「ふれあい」時代は よかったんですよ」という散々な評価…

ほんと、ひどい言われようですよね。

どうやら、桑田さんがカギになりそうです。

音楽を勉強し、正確な音程を聞き取れる人からすると、中村雅俊の歌の音程は、

音痴というほどではないにせよ、明らかにずれているのだとか。

しかし、このことについて中村雅俊のファンは、

「歌唱力は高いとはいえなくとも、歌手としての説得力や表現力、素敵な雰囲気があり、

リスナーが心地よければそれでよいと思う」と結論付けています。

また、中村雅俊の歌い方が変わったという噂もあります。

みなさんは、どう思います?

昔と今、どちらの歌い方が良いでしょうか。

私自身、年齢も相まってどちらも聞けてしまうのですが。。。

 

中村雅俊は歌が下手?歌い方はいつから急変したの!?

えっ?

昔の中村雅俊の歌い方は、口を大きく開けてしっかりと発声する歌い方だったが、

今の歌い方はわざと口を小さめに開けて鼻に響かせているといった所だろうか。

このスタイルは桑田佳祐だからこそ上手に使いこなせているが、

そうではない中村雅俊が取り入れてしまうと、

結果として下手だ、嫌いだと思われてしまうのかもしれない。

「恋人も濡れる街角」といえば、桑田佳祐が作詞・作曲している楽曲。

それを知って聞くと、桑田佳祐風に聞こえないこともありません。

一説には、桑田佳祐が吹き込んだ「恋人も濡れる街角」のデモテープを繰り返し聞くうちに、

歌い方まで似てきてしまったのだとか。(SouthernAllStars10周年記念にて)

桑田佳祐が歌い方に関して中村雅俊に直接アドバイスしたかどうかは不明だが、

現在に至るまで今の歌い方をしている事から、中村雅俊は今のスタイルが染み付き相当気に入っているのだろうか?

やはり、桑田佳祐さんに似せていまったのが、原因なようです。

どうして。。。

もちろん、単純に似せたというだけの問題でもなく、

以下のような推察もあります。

また、中村雅俊の歌い方に関してもう一つ着眼すべきポイントは、やはり年齢の問題だろう。

中村雅俊は御歳66歳である。

歌手の声量と年齢は切っても切れない関係である。

その様な年齢による歌唱力の低下もあり、昔の様な勢いのある歌い方から変化をし、

結果今のスタイルに切り替えていったのかもしれない。

高い音を出すのに、ああしないと出せなくなってきているからではないのかなあ、と、私は思っております。

「昔の歌い方のほうが、味があって好きだった」という意見や、

「今の歌い方のほうが渋くて好き!」などと、ファンの間でも意見が分かれているようです。

年齢により、歌い方がかわってしまう。

歌手のファンにとっては、切っても切れない関係ですよね。

劣化とかいろいろ言われますが。

個人的にはELTの持田さんの歌い方とかもガラっと変わりましたよね。

年齢と喉の関係。

もちろん、趣味嗜好の問題もありますが。

 

中村雅俊のプロフィール!「われら青春!」で一躍人気俳優に

あの頃は…

中村雅俊は、自らが所属する芸能事務所「エム・ジェイ・エンタープライズ」の社長も務めています。

宮城県の女川町出身であることから、東日本大震災後の復興活動に熱心なことをご存じの方も多いでしょう。

最終学歴は、慶應義塾大学経済学部を卒業。

大学卒業後、俳優になるために「文学座」の門を叩き、

同年に、新人ながらテレビドラマ「われら青春!」の主役に大抜擢されると、青春ドラマブームの波に乗って一躍人気俳優に。

「われら青春!」の挿入歌「ふれあい」で歌手デビューも果たし、

1982年には紅白歌合戦に出場しています。

現在も、俳優としてドラマや映画、舞台、テレビコマーシャルに出演するほか、

歌手として毎年コンサートも行っています。

下手だのなんだの言われますが、毎年コンサートをするほど。

やはり俳優であり、歌手なんだと思います。

 

中村雅俊のコンサートは全国規模!ニューシングル「ならば風と行け」のオマケも気になる!

すごいですよね

中村雅俊が、約1年ぶりに、通算53枚目となるニューシングルを発売します。

タイトルは「ならば風と行け」で、テーマは“人生の応援歌”。

全世代に向けた、真摯なメッセージが詰まったミディアムバラード作品です。

オマケのDVDが付いてくるバージョンの「ならば風と行け」を購入すると、

2015年10月に神奈川県で開催された中村雅俊のコンサート映像を見ることができ、

「ふれあい」や「恋人も濡れる街角」などの代表曲はもちろん、最新曲や定番曲などの中から

選ばれた楽曲がなんと7曲も収録されています。

中村雅俊のコンサートは、歌手デビューした1974年以来、毎年欠かさず行われてきました。

今年も東京・群馬・栃木・埼玉・茨城・静岡・広島・香川・愛知・大阪・兵庫・

岐阜・石川・福岡・熊本・宮崎・山形・福井と、各地で予定されています。

すごいですね。

毎年ですか。そこらの歌手でもなかなかできないことです。

ぜひ、わが県、新潟にも来て欲しいものです!

2011年3月、東日本大震災の被災地の中で、津波による被害を受け、被害の大きかった宮城県牡鹿郡女川町に生まれ、

同県石巻高校を卒業された中村さんは、震災後、幾度となく避難所へ向かい、歌声を披露してきました。

義援金の寄付や被災地への定期訪問、チャリティライブの開催、「花は咲くプロジェクト」への参加など、数々の粘り強い被災地支援活動により、

2012年には日本財団から「被災地で活動した芸能人ベストサポート」の1人に選出された中村さん。

女川や石巻。

記憶に新しいですね。

まさか、そこの出身だったとは。

思い入れも、他の芸能人とは違うと思います。

自分の故郷を守るために。

故郷・宮城県のみならず、全ての被災地が1日でも早く復興するように、ボランティア活動に精力的に取り組んでおられます。

その歌を涙して喜ぶ被災者を見て、“歌の持つ力”の凄さに気づいたという中村雅俊。

全国のファンが心待ちにしている、歌の力あふれる中村雅俊のコンサートに、皆様も足を運んでみてはいかがでしょう。

どんなに歌が変だと言われても、その歌には力がこもっている。

想いがこもっている。

これが歌の力。

人々に希望の根を与える、そんな不思議な力。

 

中村雅俊のコメント。昔を振り返って

ふむふむ

ーー長年に渡って歌い続けることで、楽曲の捉え方が変わることもありますか?

中村:うん、それはすごくあります。デビュー曲の「ふれあい」(1974年)を出したのは23才のときなんですけど、いま66才ですからね。

年代によって解釈も変わるし、表現も変わってくるんですよ。

6年半前の東日本大震災のときもそうでした。

自分の地元でもあるし、被災者の方の前で<ひとはみな 一人では/生きてゆけない ものだから>と歌ったときに、また意識が変わって。

伝わり方も違ったと思うし、俺自身もそれまでとは違う気持ちになりましたね。

今年、歌詞を書いてくれた山川啓介さんが亡くなったことも影響するかもしれないですね。

「ふれあい」以外にも、「この歌詞って、こういう意味だったんだ?」と突然わかることもあるんですよ。

ーー毎年ツアーを続けてきたからこそ気づけることですよね。

中村:そうですね。あとね、「俺は本当に曲に恵まれているな」と思うんです。

ヒット曲はそんなに多いわけではないし、結果が伴わなかった曲もあるんだけど、歌っていて「いい曲だな」と感じることがすごく多くて。

それは幸せだなって思いますね。素晴らしいアーティストの方々(吉田拓郎、小田和正、桑田佳祐など)に曲を書いてもらってますから。

歌詞提供を受けているわけですが、有名どころはやはりいい曲を書く。

また、長年歌っている間に、歌い手として、

曲の思い入れも違うものになっているようですね。

特に震災への想いが大きかったのかもしれません。

ーー新しい演出やステージングも取り入れたいと。

中村:そうですね。ずっと自分の曲しか歌ってなかったんですけど、例えば去年はThe Beatlesの曲を3曲ばかりやってみたんですよ。

それがすごく評判が良くて「何だ、The Beatlesのカバーをやればいいわけ?」って少し複雑な気持ちになったんですけど(笑)。

ーー(笑)。ちなみにその3曲というのは?

中村:「Nowhere Man」「I Feel Fine」「Golden Slumbers」です。

「Golden Slumbers」は「Carry That Weight」「The End」までつなげたかったんですけど、演奏のパートが増えてしまうし、

時間的な制限もあったから、泣く泣く諦めて

レコード通りに完コピしたんですが、けっこう難しかったですね。

ーーそもそも、中村さんが音楽に興味を持ったきっかけは何だったんですか?

中村:やっぱりThe Beatlesですね。

小学校6年のときにThe Beatlesが登場したんですけど、存在があまりにも大きかったし、当時の人たちはすごく影響を受けていると思います。

アルバムも全部聴いていたし、カタカナ英語でメロディを口ずさんだりして、ほとんど歌えるようになって。

イントロや間奏も覚えてますから。

同じくらいの世代の人はみんなそうだと思いますけど、ティーンのときに聴いていた音楽はずっと残ってますね。

ビートルズという言葉がたくさんでてきます。

それだけ中村雅俊さんにとって、大きな存在であり、憧れであったのだと思います。

歌手になるきっかけであり、ゴールでもある。

素晴らしい存在ですね。

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